成年後見制度利用促進基本計画と成年後見制度に携わる者の役割

「成年後見制度の利用の促進に関する法律(平成28年法律第19号)が平成28年5月13日に施行された。同法は、財産の管理や日常生活等に支障がある者を社会全体で支え合うことが高齢社会の喫緊の課題であり、共生社会の実現に資すること及び成年後見制度がこれらの者を支える重要な手段であるにもかかわらず十分に利用されていないことに鑑み、その利用の促進に関する施策を総合的に推進することを目的とするものである(同法1条)。同法12条では、政府は成年後見制度の利用の促進に関する施策の総合的かつ計画的な推進をはかるため、成年後見制度の利用の促進に関する基本的な計画(以下「利用促進計画」)を定めなければならないとされており、平成29年3月24日、利用促進計画が閣議決定された。 

これを踏まえて、市町村は、平成33年度までに基本計画の策定に努めなければならない。市町村が策定するとされている基本計画のポイントは、@利用者がメリットを実感できる制度・運用の改善、A権利擁護支援の地域連携ネットワークづくり、B不正防止の徹底と利用しやすさとの調和である。尚、地域連携ネットワークの構成メンバーとなる関係機関(弁護士会・司法書士会・社会福祉士会等)の役割として、@地域連携ネットワーク(中核機関・協議会)の整備・運営における市町村との連携、A不正防止における家庭裁判所と連携すべく取組みが求められている。 

最高裁判所事務総局家庭局は、後見業務において知見の蓄積がある専門職団体の取組みに非常に大きな期待を寄せている(実践成年後見No68201722頁〜23頁)。また、内閣府成年後見制度利用促進担当室は、地域連携ネットワークにおける相談対応や支援の中心的な担い手として、専門職団体が中核機関の設立およびその円滑な業務運営等に積極的に協力することを期待している。さらに、地域の実情に応じ、後見人として受任実績のある行政書士等など、さまざまな関係者の協力を期待している(実践成年後見No6920174頁〜17頁)。従って、成年後見制度に携わる者はその役割を担えるよう積極的な取組みが重要と考えています。

    (北海道成年後見支援センター「どさんこ通信 第13号」寄稿抜粋)

 

星野仙一元監督が亡くなられた。

プロ野球元監督星野仙一さんが亡くなられた。もちろん星野さんは私どものことはご存じない。

星野さんと私どもには、共通のお世話になった恩人がいた。その恩人が亡くなった際、星野さんとお通夜からお葬式までご一緒した。恩人の棺を左右から星野さんと抱えた。

それ以来、遠い存在ではあるが星野さんのニュースを聞く度目を止めていた。星野さんの亡くなられたご病気が、恩人が亡くなられた際の病気と同じとは、これも何かの繋がりか。ただただご冥福をお祈り致します。

元成年被後見人の方の納骨

昨年10月末に亡くなった元成年被後見人の方の納骨式がありました。

7年前、私にとって初めて成年後見人職務でした。暮らされていた自宅から施設入居、施設から病院に入院。この7年間、成年後見人職務を教えて頂いたのは勿論、人としての在り方を教えてくれました。

全く身寄りのない方でしたが、生前、父母と同じところに入りたいと墓地を教えてくれていました。この度、8名の方々と一緒に父母が眠る墓地に親交のあった方々に見送られながら納骨して頂きました。

ただただ穏やかにと願っています。

意思の尊重と身上の配慮との緊張関係の中で

後見人として事務を行う上で常に肝に銘じていることは、成年被後見人の意思を尊重し、かつ、その心身の状態及び生活の状況に配慮しなければならない、という民法858条の規定です。他方、本人の主観的価値である意思を尊重することと、客観的福祉となる本人の保護のために身上に配慮するという相対立する緊張関係の中で、対応に苦慮しているというのも事実です。

今年は、脳血管性認知症を患う本人が、タクシーを使って外出というか徘徊を繰り返し、その対応に苦慮する1年でした。当初、本人は、月1回〜2回、タクシーで外出することを唯一の楽しみにしていたようです。タクシー料金は、いつも2千円程かかりましたが、特にトラブルもなかったので、後見人と施設関係者は、本人がタクシーで外出することを静かに見守っておりました。ところが、しばらくすると、妄想による作話をするようになり、その作話を口実にしてタクシーで外出するというように行動が変化していきました。そこで、担当者会議を開き、精神科を受診することに決定しました。

それから間もなく、本人は、お金も持たず、深夜に施設を抜け出してタクシーに乗り、高速道路を経由して100q以上も徘徊した後、交番で保護されるという事態が起こってしまいました。その直後に本人に会いましたが、全く覚えていない様子でした。その後も、タクシーで徘徊し、二日連続で交番に保護されるという事態となりました。これまでは、本人の意思を尊重しながら日常生活で拘束のない暮らしを目指してきましたが、本人の安全を考えて、区役所担当部署と支援者で検討し調整した結果、精神科病院に医療保護入院をすることになりました。意思の尊重と身上配慮という緊張関係の中での辛い選択でした。

今は、月一度、病院を訪問して本人と面会しています。今回の医療保護入院を契機に、5年前の後見申立時には関わりを拒否していた姉妹らに、後見人として、初めて連絡を取りました。首都圏からは姉が、道内地方都市からは妹が見舞いに来てくれました。本人は、見舞いに来た姉妹らや後見人に会う度に、「退院したい」と訴えます。後見事務の難しさを改めて痛感しているところです。今後は、主治医の意見を聞いて「本人の安全」に配慮し、また、本人の人生をよく知る姉妹らの力を借りて「本人の意思」を尊重していきたいと考えています。

      (北海道成年後見支援センター会報 どさんこ通信 第10号 寄稿)

マイナンバーカードの有用性が始まりました。

札幌市でも、いよいよマイナンバーカードでの証明書のコンビニ交付サービスが始まりました。

マイナンバーカードを使って、コンビニエンスストアーで「住民票」「印鑑登録証明書」が受けとることができるようになりました。

早朝や夜間、休日でも近くのお店で受け取れるようになり便利になりました。

成年被後見人の方を見送りました。

5年前から後見人をさせて頂いた本人が亡くなられました。

2週間前にお見舞いに行った際、主治医より唾液が痰になって溜まってきたので張り薬で唾液をコントロールしようと決めたばかりでした。

家族のいない方でした。連れ合いに病院にむかえに行ってもらいました。2日間ご一緒している間、かつての本人の知り合いもたずねてくれました。連れ合いと本人が元いた施設の社長さんと3人でお骨を拾った。

まだ暖かいお骨を抱えて教会に向かいました。しばらく、牧師さんが説教されるそばに安置してもらいます。来春、雪が解けたら本人の父母が眠るお墓におさめることになっています。

日本成年後見法学会に参加しました。

日本成年後見法学会(第13回学術大会 青山学院大学)に参加しました。

今回のテーマーは「障害者権利条約からみた後見人の職務と法改正」でした。

成年後見利用促進法が成立し、成年後見法制がよりよく改正されるよう活発な議論がなされました。

わが国の成年後見制度は、申立主義をとっています。「成年後見の社会化」のためには、もっと利用しやすい、申立しやすい制度に改正されるよう願っています。

利用したい人が誰でも利用でき、利用して良かったと思える制度になって欲しい。支える側も安心して後見職務ができる制度であって欲しい。

恩師が亡くなられました

私たちの恩師が秋に亡くなられました。毎年11月上旬に表敬訪問してきましたが、今年から叶わなくなりました。

学生時代よく、京都御所南側の丸太町のご自宅に訪問させて戴きました。当時はまだ先生のお母様もお元気で、飴玉を頂戴したのも懐かしい思い出です。

40年前、「環境権」が差止請求権になりうるか?など、債権法が専門だった先生と話をさせて戴いたことを思い出します。数年前、編集のお手伝いをさせて戴いた先生の随筆集「法律落穂拾い」を読み返したいと思っています。

遺言執行者として一周忌法要に出席

ちょうど1年前に遺言者が亡くなられ、受遺者である奥様の依頼で遺言の執行をさせて戴きました。

一周忌法要の知らせを戴き出席しました。奥様、関西の大学で教鞭をとられているお嬢さん、親族の方、友人夫婦の方々とお参りしました。

法要のあと、みなさんと食事をご一緒させて戴きました。ありし日のご主人の話を中心に心地よい食事会でした。遺言執行者として業務させて戴いたことにあらためて感謝します。

(号外)阪神淡路大震災から20年が経ちました。

阪神淡路大震災から、20年が経ちました。私たち家族全員が、今生きていることに改めて感謝しています。

当時、私たち家族は、豊中市の服部緑地公園近くの社宅(16階建の10階)に住んでいました。家族の誰かがいなくなってもおかしくない震災でした。家財道具の多くは壊れてしまいましたが、おかげさまで家族全員無事でした。

あれから20年、札幌に居を移してから9年が経ちました。あの震災に遇ったことを忘れることのない年月でした。生かされ生きていることに感謝しながら、残され与えられている時間を少しだけ誰かのお役に立ちたいと思って暮らしています。

毎年、1月17日は、新年とともに心新たにする機会です。

気丈な88歳の女性

私どもが任意後見受任者になっている本人(委任者)が緊急入院された。

一昨日の深夜2時頃、持病の不整脈が悪化し自分で救急車をよんでの入院でした。大事に至らず、治療の結果、不整脈はすぐに止まりました。

昨日、入院中の本人から札幌近郊の地方都市に出張中の私どもに連絡が入った。「緊急入院した。なぜ、深夜でも連絡してくれなかったのか言われると思ったが連絡した」との内容でした。

「今日夕方、仕事が終わり次第、病院にお訪ねします」とお伝えしたところ、本人の返答は以下の通りでした。「今日午後、退院します。かねてよりの約束通り今度の土曜日にホテルロビーで会いたい」。

よく聞いてみると、今日お訪ねするよりも、ずっと楽しみにしている月1度のホテルでの一緒のランチをキャンセルしたくないとのことでした。

なんと、大正生まれの女性は気丈なことか。また一本取られました。

遺言執行をさせて戴きました。

5年前に遺言公正証書を作成された方がいました。その時、ご本により依頼があり遺言執行者を引き受けました。

今年に入ってから体調をくずし入院治療をされていました。札幌雪祭りの頃、お見舞いに伺いました。ご本人とふるさと東北の話をし、お気に入りの民謡を一緒に聴きながら1時間ほど過ごしました。

2月下旬、ご家族に見守られながら亡くなられました。

4月下旬の四十九日法要にお参りさせて戴きました。奥様と関西の大学で教鞭をとられているお嬢さん、そして友人ご夫婦からご本人の懐かしい話をお聞きしました。

四十九日も過ぎましたので、遺言執行者として自宅の名義変更、預貯金類の相続手続等を行いました。

ご高齢の奥様は、これからお一人暮しになります。関西在住の娘さんの意向もあり、私どもで奥様の見守りをさせて戴くことになりました。

遺言執行者の業務は終了しましたが、ご家族とは、引き続きお付き合いさせて戴きます。

(号外)母校が甲子園出場します!(21世紀枠)

母校:和歌山県立海南高等学校が、第86回選抜高等学校野球大会に出場します。

21世紀推薦校として甲子園に行くことになりました。なんと50年ぶりの甲子園です。

戦前に海南中学(旧制)として、2度ベスト4に進出した野球の強い学校だったそうです。今回が15回目の出場です。

私の在学中は、もう甲子園には行っていませんでした。確か3年生の時、ベスト4で箕島高校に負けて夏が終わったことを覚えています。

今月、遠い遠い後輩たちが夢の甲子園の土を踏みます。北の地札幌からテレビで応援するのが楽しみです。

(号外)小野田寛郎さんが亡くなられた。

小野田寛郎さんが亡くなられた。日本に帰国されたのが、1974年3月でした。

当時、私は高校3年生で、小野田さんの実家が叔父(父の弟)の家の真向かいであったのでよく覚えています。

また、通っていた高校の校長先生(小野田先生)が、小野田さんの伯父であることも当時初めて知りました。

小野田さんは、海南旧制中学を卒業後、貿易会社を経て陸軍中野学校へ。1歳年下の私の父は、19歳で現役志願して陸軍入隊し、終戦は満州でむかえました。父は終戦2年ほどで帰国できましたが、小野田さんは30年もかかりました。

ずっと気になっていた、私にとって遠い遠い先輩が亡くなられました。

 

87歳の女性からのSOSが仕事始め

2014.1.4朝一番で、一人暮しの87歳の女性の方からお電話を戴きました。

2年前、ある町内会の勉強会で、私どもの話を聴いたことがあったので電話をしたとのことでした。事情を伺うと、昨年年末の30日に転倒して右手をゲガした。年末年始だったので病院にも行けず、おせち料理を食べ繋いできたが困り果てて電話したとのことでした。

早速、本人宅を訪ねてみると、右手は骨折しているのかパンパンに腫れている。年始でも診てくれる病院を捜し病院に急行しました。はやり骨折、ギブスで固定、最終的な治療方法は仕事始めの週明けの診察で決めることになりました。6日2度目の診察、ギブスでの固定と週1度の注射で治すことになり全治4週間。

利き手の右手骨折では、高齢者の自宅一人暮しは困難を極める。お風呂も年末から入れていない。先ず区役所に行き、介護保険暫定資格者手続きを済ませる。続いて包括支援センターを訪ね、介護サービス提供を依頼する。

翌7日、包括支援センター保健師と本人宅訪問、デイサービスの体験を調整、これで明日、10日ぶりにお風呂に入れる。併行して宅配弁当を手配、翌日夕食から配達してもらう。

9日(木)午後一番で、事務委任契約+任意後見契約を公証役場で本人と締結し、正式に本人の事務のお手伝いを始める。最初の事務は、当日夕方の区役所担当による介護認定調査に立ち会う。

10日(金)、本人の取引銀行に代理人届けを提出。これで、来週連休明けデイサービスの正式契約が可能となりました。

2014年の当事務所の仕事始めは、このようにバタバタと始まりました。ご本にとって不安一杯の年末と正月でしたが、少しだけ安心して戴きました。骨折が治れば事務委任業務は必要なくなるかもしれません。その後は見守りだけさせて戴こうかと考えています。

任意後見委任者の帰省

私どもが委任事務をお手伝いしている任意後見委任者が帰省することになりました。

お正月を実家の家族と過ごしたい、亡両親の仏前にお参りしたいとの希望でした。一方、70歳を超える年齢とバスで3時間以上かかる道程を考えると少々心配でした。事前に実家家族と電話調整、札幌から乗るバス便を含む行程表を帰省先に手紙で送っておきました。

いよいよ、2013年12月31日、帰省当日。道中吹雪に遭わないか天候を心配していましたが心配なさそうでした。札幌駅地下街で、本人希望のお土産の買物につき合い、予定していた札幌ターミナル発のバスに乗って戴きました。バスの窓から手を振る嬉しそうな表情、道中の無事を願って、私たちは札幌駅を後にしました。

 

2014年1月2日、迎えのため札幌駅バスターミナルに予定時刻に行きましたが、予定のバスが一向に到着しません。あわてて係員の方に問い合わせてみると、吹雪のため運行中止とのこと。本人に電話してみると実家の甥御さんが急きょ車で送ってくれている途中とのことでした。

30分後に無事到着。ご本人は楽しいお正月が過ごせたと上機嫌でした。甥御さんはまた3時間かけて戻られました。私たちは、悪天候のおかげで少しバタバタしたお正月2日目でした。

仏さまのような人

準公的機関から引き継ぎを受けた、男性高齢者の任意後見受任者をしています。

健康に不安を覚え、今年初めに自宅マンションから高齢者住宅に引っ越しました。

自分の腕(技術)一本で仕事をしてきた人です。しかし、幼い頃勉強する機会に恵まれず、少々漢字が不得意です。

そのような訳もあり、様々な手続(事務委任)のお手伝いをしています。3年以上のお付き合いになりますが、お会いする度、私どもが心穏やかになります。不思議な方です。

人柄故か、高齢者住宅入居直後から、〇〇さん!、〇〇さん!と皆から声をかけられる人気者になりました。

月1度程度お訪ねしますが、いつも自然体、穏やかな方、私どもをホッとさせてくれる人。

この人、どこから来たの?と思ってしまう仏さまのような人″です。

遺言がない相続手続の大変さを痛感!

90歳で亡くなった方の相続手続のお手伝いをしました。

子供さんがいらっしゃらないため、妻と兄弟姉妹(実際は甥姪)との相続手続でした。

念のため自筆証書遺言探し、遺言公正証書検索もしましたが、やはり遺言書はありませんでした。

相続人探し(確定)のために、文久3年生まれの方まで戸籍をさかのぼり、のべ10市町村、29通の戸籍等と取得して、相続人が確定しました。

相続人のうち2名の方とは、奥様はまったく面識がなく、今回相続手続のための戸籍を取ってみて、初めて相続人であることに驚く結果なりました。

疎遠な親族、お付き合いのない相続人との薄氷を踏む思いでの相続手続きでした。

無事、相続手続きは終了しましたが、今度は依頼者の奥様自身が公正証書遺言を書いておくことを痛感されました。

亡母女学校時代親友の手続お手伝い

10年以上も前に他界した母の女学校時代の親友の手続のお手伝いをしました。

母たちが学生時代を過ごしたには、太平洋戦争末期の頃です。私どもには想像できない状況で、共に学んだ大の親友だったそうです。終戦、結婚、子育て・・・と、ずっと付き合いは続いていたようです。

道内の地方都市に住むその方は、数年前にご主人を亡くされ一人暮しされています。80代後半になり、色々と手続きが困難になり相談を受けました。今回、母娘間で「事務委任・任意後見契約」を結ぶお手伝いをしました。これからは、ある程度の事務手続きは娘に任せ、お元気に暮らして欲しいと願っています。

今は亡き母ですが、母の大親友にお会いして不思議な繋がりを感じました。

献体慰霊式に出席して

「札幌医大解剖体慰霊式」

私どもが成年後見人をしていた方の献体慰霊式に出席し、最後のお別れをしてきました。

解剖学講座教授と一緒に、ご遺体に献体慰霊式.jpgお別れをしたのは昨年の7月でした。

ご本人は少々やんちゃなおじいちゃんで、高齢者住宅にお訪ねした時、よく「出ていけ!」とどなられました。

亡くなる前の病院では、すっかり素直になりすべてを任せてくれるようになりました。

解剖を担当してくださった教授が遺体の前で、「人は最後の最後まで世の中のために役に立つことができるのです」とおっしゃってくれたことが、今も心に残っています。

ご冥福をお祈りします。

心臓ペースメーカー手術

私どもが任意後見受任者をしているご本人が、7月末手術のため入院されました。

前々から体のあちこちの不調を訴えられ、いくつかの病院に通っていました。

先月下旬から、微熱と足のむくみが気になり、今回の受診→入院→手術となりました。

今回、ペースペーカー埋め込み手術と心臓血管拡幅手術を受けました。

手術前症状と手術の内容をご本人と一緒に執刀医より聞き、安心して治療を受けてもらいました。

順調に回復して昨日退院して、自宅(サ付住宅)に戻りました。

来週、訪問看護士と契約して、通院と療養をしてもらいます。

今年も北海道神宮例祭山車で大活躍!

「今年も北海道神宮例祭山車で大活躍!」

私どもが任意後見契約受任者をしている本人が、今年も北海道例祭で活躍されました。

20歳の頃から毎年札幌祭りで山車の上に乗り、札幌市内をねり歩く神輿渡御に参加してきました。

ご本人は今年で70歳になり、さすがに山車の上に乗ることは引退し裏方に廻りました。

最終日の打ち上げでは、地域の方たちと一緒に美味しお酒を飲んだそうです。
いつまでも、元気でお祭りに参加してほしいと願っています。

自筆証書遺言検認手続のための戸籍取り寄せの大変さ

「自筆証書遺言検認手続のための戸籍取り寄せの大変さ」

93歳で亡くなられたご主人の自筆証書遺言の検認手続のための戸籍収集の依頼を承りました。

ご夫婦には子供さんはなく、相続人は奥様とご主人の兄弟姉妹でした。兄弟姉妹と言っても、お一人を除いては亡くなられており甥姪15名が相続人になりました。

結局、全国のべ24市役所に64部の戸籍等を取り寄せて、自筆証書遺言検認のための相続関係説明図が完成しました。

自筆証書遺言検認のための戸籍等の取り寄せの大変さをあらためて実感しました。

自筆証書遺言を「遺言公正証書」にしておけば、面倒な戸籍の取り寄せと検認手続の手間が省けることを今後もお伝えしていきたいと考えています。

任意後見契約委任者の引っ越し

「任意後見契約委任者の引っ越し」

私どもが任意後見受任者をしている本人が引っ越しすることになりました。

3年前に同居していたお姉さんが亡くなり、三回忌も済ませ引っ越しを決めてそうです。

本人は今年で88歳になり、私どもにより近い中央区に引っ越されます。

転勤族だった我々の豊富な引っ越し経験を生かしてお手伝いしようと準備しています。

88歳とはいえ、頭は聡明、少し歩行がおぼつかなくなってきた程度。

今後も、いい距離感で見守って行きたいと考えています。

任意後見優先の原則

成年後見制度には、任意後見制度と法定後見制度が併存しています。判断能力が不十分になる前に利用できる任意後見制度が、判断能力が不十分になってから利用する法定後見制度に優先する制度です(任意後見に関する法律 第10条)。成年後見制度の理念の一つである自己決定権の尊重が貫かれているからです。 高齢社会の中、自分の将来のため信頼できる人と任意後見契約を結んでおくことは、最後まで自分らしい人生を全うするために有用な準備だと考えます。

権利証紛失、不正防止届出を

 東日本大震災では津波による家屋滅失に伴い不動産所有を示す「権利証」を紛失した人が多い。非難の留守に中に盗まれた人もいるとみられる。

 権利証は正式には登記済証または登記識別情報通知書という。不動産を購入し、所有権を登記した後に登記所(法務局)から所有者に交付される書類だ。所有する人が所有者本人とされ、不動産を売却する際などに必要だ。ただ、「理由を問わず、再発行はできない」(法務省)。紛失しや場合、どうすればいいか。

 まず、所有者になりすました不正な売買や登記を防ぐため、所有者が登記所に不正登記防止の申し出をする。こうしておけば申出から通常3ケ月以内に本人の身に覚えのない登記申請などがあれば、本人に通知され、不正を防止できる。

 「権利証の目的は本人確認」(法務省)である点に着目し、権利証に代わる本人確認情報などを作成してもらう手もある。これができるのは登記申請を代理する司法書士や弁護士だ。このほか事前通知制度という確認手段もあるので、登記所などに相談しよう。 (日本経済新聞「くらしナビ」より)

消費者契約法は交渉力の弱い消費者を保護

 消費者契約法は、消費者と事業者では法律の理解や商品の情報、契約の交渉力などに格差がある点を踏まえ、事業者の一定の行為を規制し、消費者を保護する法律。

 2001年4月に施行された。

 事業者が不確実な事項について断定的判断を提供して消費者が誤認したり、消費者の利益になる事実を告げながら、不利益になる事実告げず、誤認した場合、消費者がこれを知った時から6ケ月以内であり契約から5年以内ならば、契約の申込を取り消すことができる。

                                                  日経新聞より

割賦販売法にも保護規定

 訪問販売商品の分割払い契約を結ぶ信販会社に対しても、2008年6月に成立した改正割賦販売法は消費者保護規定を盛り込んだ。高額商品支払いを認める信販会社側にも一定の責任を課すことで、悪質な訪問販売の被害拡大を防ぐのが狙いだ。

 販売事業者である加盟店のコンプライアンス(法令順守)体制の確認を義務付けたほか、販売方法に問題があった場合の代金返済請求が可能になる。「営業のためにもしくは営業として」の契約は、基本的に保護対象外としているが、特商法と同じように、購入商品を個人で利用していれば保護の対象となる。

                                〜日経新聞〜

 

食中毒に備え、事業者も共済を拡充

 食中毒などで消費者から損害賠償を請求される場合に備え、事業側も対策を強化している。代表例は飲食関連事業者らで構成する日本食品衛生協会が手がけている共済形式の損害保険だ。2006年6月には、店員が顧客の衣服を汚したケースなどにも対応できる「あんしんフード君」を導入した。

 08年4月にはフード君の対象を飲食店や旅館から製造業者や販売店にも拡大。中国製冷凍ギョーザ事件を受け、被害を与えた商品と同じラインで製造された商品の回収費も補償するなど、対策強化に取り組んでいる。

                                           〜日経新聞〜

 

特別養子制度の契機に、菊田医師事件

 特別養子制度の立法を促す契機となったのが、1973年に明らかになった菊田医師事件だ。宮城県の産婦人科医師が妊娠中絶などを希望して来院する女性に対し、これを思いとどまらせて子供の生命を救おうと活動。19年間で約220人の子供を、もらい受けて育てたい夫婦らにあっせんしていた。

 その際、養親は実子としての望むため、医師は違法を知りながら虚偽の出生証明書を作成していた。医師は医師法違反などで処罰されたが、実子として育てたい養親の要望に応える制度の必要性が広く認識された。

                                            〜日経新聞〜